書はがき は、現在準備中です。
2021/01/24 00:00
自覚⑤の続きです。
「自覚シリーズ」として書き綴っていますが、内容はもはや自覚とはかけ離れてしまいました。(笑)
ただ、「なぜ、自覚が大切なのか」は、含み続けていますので、自覚タイトルで続けてみたいと思います。
「気持ち」は、「智慧」であり「知恵」でなく、「気分(感情)」でも、「思考」でもないを説明してきました。
では、「気持ち」は、どこから生じてきているのでしょうか?
それは「心」と、私は位置付けています。
ここで、「心」の説明(私の定義)を少ししておきます。
たとえ話ばかりで申し訳ないのですが…(苦笑)
ここに、竹林があったします。
竹が、山一面に生えていたとします。
地表に見える部分(竹稈など)が「気持ち」だとしますと、地中にあり地表からは見えない部分(根など)が「心」になります。
人が認識できるのは地表に見える部分「気持ち」で、「心」にあたる地中部分は認識できません。
あくまでも私の定義ですが、「心」は認識できない部分として定義しています。
その認識できない「心」を、認識できる形にしたものが「気持ち」になります。
ですから、「心」を知りたければ、「気持ち」を知ることが重要になります。
単純に「心」ってなに?と聞かれても答えに窮すると思うのですが、「気持ち」ってなに?と聞かれた方が答えやすいと思います。
---続く
かゎら
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