書はがき は、現在準備中です。
2021/01/13 00:00
前回の続きなのですが、その前に少し余談を書き綴ってみたいと思います。
前回の記事の中で、お母さんが子供たちとコミュニケーションをするにあたって、かなり細かいことをお母さんにお伝えしました。
かなり細かいと言っても、私の中では、とても大切なことで、子供たちとのコミュニケーションを丁寧に丁寧に出来るようにお伝えしているだけなのですが、この細かい内容を「面倒」と感じる方がとても多く見受けられます。
現受講者の中でも、とてもムッとしておもむろに嫌がる方がおられます。
ですが、ここを疎かに(丁寧でなく雑に・軽んじて)してコミュニケーションをしてしまうと、これから先に起きる現実は、自分が望まない現実ばかりになってしまいます。
嫌がっている受講者の方の現実は、自分が望まない現実ばかりが起きるから、今も受講者としているわけです。
これが現実です。
少し話がそれますが、もちろん、そうでない受講者の方もおられます。
日常生活を丁寧に丁寧に過ごしているにも関わらず、継続的に受講されている方もおられます。
それは、人生をさらに「より良く」生きるために受講されている方です。
良くない(悪い・マイナス)人生を良く(プラスに)するために受講される方と、
良い(プラス)人生をさらにさらに良く(さらにプラスに)するために受講されている方がおられます。
今回のお話の対象は、前者が対象です。
話しを戻しまして、受講者の方が嫌がる細かいことを何度も何度もお伝えするのは、この細かい内容がワイシャツで言えば、始めの(第1)ボタンとなるからです。
ワイシャツの始めのボタンが、きっちりと留めることが出来れば、次の(第2)ボタン、次の次の(第3)ボタンは、正確に簡単に留めることが可能です。
しかし、始めのボタンがズレていると、次のボタンも、次の次のボタンもズレたまま留めることになります。
自分にとって望まない現実が、次から次へ起きるのは、ボタンがズレたまま留められているからです。
だから、始まりのボタンにあたることはかなり細かく(丁寧に)お伝えしています。
でも、多くの人は、第1ボタンがきっちり留められているかどうかを気にするよりも、すぐに次のボタンを留めたがります。(苦笑)
なぜ、次を留めたがるのか?
これもわかっています。
自分を見失っているからです。
自分というのは、「気持ち」のことを指しています。
自分という気持ちを見失えば、何でもありになります。(望まない現実ばかりという意味です。)
例え、一瞬自分にとって好ましいことが起きても「こんなことは二度と起きない」とか「このようなことは長続きしない」と、一瞬ボタンがきっちり留められた現実が起きても、すぐにボタンをズレさせる思考でボタンをズレさせます。(苦笑)
第1ボタンがズレているので、第5ボタンが偶然きっちり留められても、違和感を感じてしまい、またズレた状態に戻してしまいます。
このようなことを繰り返していると、何が気持ちなのか、どれが本当の気持ちなのかが全く分からなくなってしまいます。
※「本当の気持ち」と表現しましたが、実際には「本当の気持ち」などはありません。「気持ち」もしくは「気持ち以外」なので、本当でない気持ちは、存在しません。野菜という野菜が存在しないように便利な言葉で使われているだけで、「気持ち」を本当の意味で理解する上では、役に立ちません。役に立たないからと言って必要ないものではありません。その言葉を理解した上で役立たせる(活用する)ことはいくらでもできますから。
大切なのは、第1ボタンです。
だから、嫌がられるくらい細かくお伝えしています。(笑)
今回は、これをお伝えしたくて、余談話しをさせていただきました。
では、話しを余談から戻しまして…続きは次回に。(苦笑)
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